雑記ブログ

副業や自分らしく生きる方法とかを気ままに書いていきます。拙い文章ですが、新しい考えや視点の発見につながれば嬉しいです。

人間関係の悩みについて考えること

文章は気楽だ。何を書いても何も言われない。紙には表情はないし、リアクションもない。報告や相談も必要ない。ただ自分が書きたいように書き、言いたいことを言うことができる。

 

人間関係で疲れるという人は多いと思う。私もそのうちの一人だし、仕事のストレスを聞かれたら人間関係という答えが常に上位にいる。一人でいる方が気楽だし、一人の方が仕事は捗る。ストレスも少ないし想像的にもなれる。一人というのはメリットばかりだが、ではなぜ人間は他人と関係を作らなければ生きていけないのだろうか。

人間関係の悩みに答えるには、まずはなぜその関係が必要なのかに答えなければならない。

 

人間は一人では生きていけない。これは詩的な意味でもなく、現実的にそういう生物として作られている。一人では食べ物も作れないし、住む場所も作れない。そして一人では成長もないし、発達していくこともない。

人間というのは関係性の中で自己を確立し、成長していき、生きる意味を見出していく生き物だ。

他者がいるから自分がいる。他者がいなければ自分はいない。そして逆に、自分がいなければ他者は存在しない。他者を認知する自分が存在して初めて他者は存在できる。

つまり自己と他者は相互依存の関係なのだ。

 

だがこの関係が時にストレスとなり自己の存在を脅かす。成長のために必要な他者が時に足を引っ張ったり、助け合うはずの他者と傷つけ合うことになったりする。

これはなぜそういうことが起きるのだろうか。

 

あなたも私も幸福になりたいと考えている。誰かを傷つけようと考えている人はいない。(純粋な悪意を持った人間は存在しない。連続殺人を行う人間にも彼なりの正義が存在する)

みなが幸福になりたいと行動をしているのに、なぜほとんどの人が幸福を人間関係の中に感じられずにいるのだろうか。

 

人間関係の悩みを克服するメソッドはたくさんあるし、科学的に有効な方法も説明されているが、今回は悩みの克服ではなく、なぜ悩みが生じるのかを考えてみよう。

 

仮説1

世界全体の幸福の総量は決まっており、誰かが幸福になると誰かが不幸になる。だから物理的にみなが幸福になるのは不可能なのだ。

 

仮説2

人間関係の悩みなどは存在しない。認知が歪んでいるせいで悩みを感じてしまう。存在しないものを脳は作り出している。

 

仮説3

人間は他者依存的な生き物であり、他者から切り離されると生きてはいけない。だから他者から捨てられるかもしれないという予測に不安を感じ悩んでしまう。

 

これら3つの仮説から人間関係の悩みとは何なのかを紐解いてみよう。

まず仮説1だが、これは幸福を物質として捉え、それらは地球、いや宇宙を循環しており、総量は決まっており、分配することにより幸福を感じると考える。これによりみなが幸福を望むことで幸福の奪い合いとなってしまい、他者と関係を築くことで不幸を感じて悩んでしまう。

しかし他者と関係を持つことで感じる幸福も存在する。たとえば愛する人との時間、大切な友との時間、そういった時間に悩みは生じない。しかしそういった時間の中にも幸福感が形を変えて悩みとなる場合もある。とすれば幸福感というのは変形する物質と考えることができる。それでは幸福感は交換可能なものではなく、発生し、変化し、消滅していくものなのかもしれない。では幸福感の取り合いが悩みを生み出すという説は弱くなる。

 

仮説2では、悩みを現実世界ではなく脳の中に存在理由を求めた。他者との関係の中に悩みがあるのではなく、脳の認知が歪んで自らを苦しめる悩みが生じるのだ。この説では、悩みは自然発生的に生じるものではないので、自らコントロール可能であり、対処ができるものになる。希望がありそうだ。しかしなぜ脳の認知が歪んでしまうのだろうか。

たとえば、夫があなたに隠れて女の人に会っていたとする。あなたはそのことで人間不信になり悩むだろう。しかし実際はその女の人は単なる同僚であり、隠れていたわけでもなく、あなたが偶然同僚といる夫の姿を見かけただけなのだ。

この時事実はあなたに悩みを与えるようなものは存在しない。だがその事実を認知したあなたの脳が認知を歪めてしまい、夫が隠れて女の人と会っていたと考えてしまい悩みを生み出しているのだ。これが認知の歪みによる悩みの発生だ。

 

仮説3も認知の歪みに近いのかもしれない。おそらく他人を切り捨てようする人はほとんどいない。実際に数えたわけではないので正確な数はわからないが、1000人に1人もいないのではないだろうか。

人はみな良い人だというのが私の感想だ。それは平和な日本だからかもしれない。あなたの命を奪おう、金銭を奪おう、そんな風に考えている人にあなたは出会ったことがあるだろうか?

誰も他者を切り捨てようと純粋に考えていはいない。仮にそういった表現をしてくる人間がいても、単に自己認識が甘く、言語能力が低い人間であることが原因であり、悪意を持ってあなたを切り捨てようとしているわけではない。

だから他者から切り捨てられ群れからはぐれ生存が脅かされるという予測は脳が勝手に作り出した妄想に過ぎないのだろうと思う。

 

長くなってしまったが、これらのことから人間関係の悩みは認知の歪みが原因であり、現実には存在しないものをあなたが勝手に作り出して悩んでいることになる。

それならば話は単純になる。悩みは外にあるのではなくあなたの中にあるのだ。

外にあるものはコントロールできないが、中にあるものはコントロールができる。

誰かに悪く思われてるかもしれない。そんな風に考えるあなたの思考は正しいだろうか。あの人は私のことを悪く言っている。果たしてそれは真実だろうか。

 

結局は自分自身に対する自信のなさが人間関係の悩みを生み出している元凶なのではないかと思う。

だから人間関係の悩みを解決する方法は自信を取り戻すことだ。それが出来ればあなたの脳は認知を歪めることなく事実をありのままあなたに見せてくれるようになる。

 

自信はどうすれば手に入るのかって?

それはまた今度話そうと思う。

組織について思うこと

仕事というのは本当にクソだ。

事務所という空間は、精神を磨耗し、向上心を奪い、何かを始めようという気持ちを奪っていく。

上司という存在は何のためにあるのだろうか。管理をしようと必死な人間たちが組織のモチベーションを低下させている。どこに向かっているのかも分からず、自分たちがやっていることも分かっていない。考える頭がない人間が上に立つとそうなる。そしてそんな人間より下の自分。

 

現実を悲観するのは愚者の選択であり、賢者は現実を変えようと試みるのだ。

人生は如何様にも変えられる。自分が望む世界へと進むことができる。

 

今日を振り返る。人に会った。それはいい。人と話した。それはいい。私が嫌いなものは報告や情報共有という幻想だ。職種によってはそれが必要なものもあるだろう。しかし私の仕事は全てが自分で進めていかなければならない仕事だ。チームで進めるものもないし、上司がフォローするわけでもない。単に上司が自己満足するため、状況を把握したいがために報告を要求してくる、そんな茶番に付き合うのがたまらなく苦痛なのだ。私は成果が欲しい。つまり結果だ。効果的なやり方はなにか、どんな工夫をすればもっと成果が上がるのか、さらなる飛躍のためにはどんな方法があるのか、そうしたことに知恵を絞るのが好きだ。

何か出来事が起こる。その度に報告をしていてはいちいち手が止まる。それは私だけではなく、報告を聞く上司だってそうだ。まあ上司の時間はどうだっていい。私の時間が報告という何にも生み出さないもので奪われるのがたまらなく苦痛なのである。

思い返せば前職でも報告報告と言われていた。状況が分からないから教えてほしい。社会人として当たり前だとも言われた。だけど私にはその当たり前が理解不能なのだ。それは成果に必要なものなのかが分からないし、時間の無駄にしか感じない。そして報告をしたときに新たな指示や報告に対して疑問を投げ掛けられるのも窮屈で効率が悪いと感じる。

私は効率が悪い、時間の無駄だと感じることを行うことに大きな苦痛を感じてしまう。だから私はコミュニケーションが嫌いだ。会社という組織に求められるコミュニケーションが嫌いだ。

 

一人でいると集中力が高まり、精神力も向上し、作業効率が上がる。それは誰だってそうだと思う。人がいると気が散るし、何のプラスにもならない。もし自分が会社を作るなら完全に個人のスペースで仕事をしてもらうようにする。報告もいらない。会議もいらない。そんなものが必要なほど信用できない相手とは仕事をしたくない。

 

そうだ、報告を求める行為は相手を信用していないから生まれる行為だ。サボっているのではないか、ちゃんと仕事をしていないのではないか、そういった疑念から報告を求める気持ちが生まれてくるのだろう。哀れなものだ。

 

しかしまだしばらくは茶番に付き合っていく必要がある。銭が無いと生きてはいけぬ。

私は会社に向いていない。それははるか昔から感じている。人と何かをやることに苦痛を感じるし、連携を取るためのコミュニケーションなんかクソだるい。各々が勝手に回る組織なら良い。だけどそういった組織は各々が有能である必要がある。だから自分自身を有能にしていかなければならない。私が考える本当に優れた組織というのは、それぞれが自分の強みを発揮することで一人でやるよりも大きな成果が得られる組織だ。そこには畏まった会議も必要ないし、情報共有のルールも必要ない。ただ目標が一つあれば良い。そこに向けてそれぞれが自分なりの方法で動き、成果を上げられるように努力をする。そんな組織を作りたい。

でもそのためには自分自身が周りとは違った優れた能力が必要になる。

自分がと仕事がしたい。そう思われるような能力を身につける必要がある。

そのためにやるべきことは私には分かっている。あとは為すだけだ。

日記の効用について

日記には自分の頭の中で考えたことや感情を書きましょう。今日あった出来事と自分の感情をセットで記録しておくことで、自分が何をやっていて、どんな時にどんな感情になるのかを客観的に見ることができるようになります。

だから日記というのは日々の感情の記録として使いましょう。単に時系列で出来事を記録する使い方はもったいないです。せっかく書くのなら、自分の感情を必ず書くようにしましょう。

 

そして日記には、メンタルを安定させる効果があります。

自分の考えや悩み、感情を書くことで、いったい自分は何について考えているのかを把握することができ、日々のメンタル改善につながります。

書く内容はなんでもいいです。自分の頭の中に浮かんだことであれば全て書きましょう。誰かのためではなく、ただ自分のために書いていきましょう。

書くことで心が整い、前に進む力を養うことができます。

現代ではブログサービスも充実していますし、好きに文章を書いていきましょう。

 

水曜日は疲れがピークな感じ

何かをやろうとしても疲労感が大きい。

疲れるような事をしたわけではない。単に仕事に行っただけだ。何かの役に立つ事をしたわけではない。単に仕事に行っただけだ。本当に意味がある仕事をしているようには感じない。無意味なものに無駄なものを与えているような感覚だけが手元に残り、嫌なストレス、居心地の悪さ、先が見えない人生に辟易する。

ただ生活費を稼ぎ余暇を楽しみ人生が過ぎていくのを待つのも悪くはないのかもしれない。そんな諦観で人生に臨んでも、それは幸せなのかな。

今は何もわからない。

自分が何を求めているのかさえ分からない。

 

眠りなさい。あなたは疲れているのよ。

ブログに書くテーマの考え方の話

投資関連の情報発信をしようと考えていましたが、自分は専門外であるし、それほど投資にのめりこんでいるわけでもないのでそのジャンルは却下しようと思いました。もう少し運用経験を積んで、資産額も大きくなってきたら人に説明もできるかもしれませんが、まだまだ有益なコンテンツを作り上げられるほどの知見が備わっていないのであきらめます。

 

それよりも自分の専門性や権威性を利用できるようにしたほうがいいです。そして自分が書ける文章を書き、それをいかにしてマネタイズしていくかを考えていきましょう。

大事なことは読み手の得になる文章を書くこと、そしてそれができるジャンルを選ぶこと、マネタイズ設計をすることの3点を守ればブログで収益を上げることができるようになります。

では自分ならどのように実践するのかを考えていきましょう。

自分は何の専門家か、自分は何に関心があるのか、それをどうすれば世の中の役に立てるのかを考えます。

まず自分は福祉の仕事をしており、福祉の専門資格を保持しています。それはひとつの権威性になります。それは使いましょう。自分が何者であるかを発信しなければ発信している情報の信頼性というのは弱くなります。だから積極的に自分の情報は開示していきましょう。

ではそれをどのようにマネタイズしていきましょうか。福祉という分野に限ってしまうと入り口が狭くなります。入り口が狭いと人が集まらないので収益化が難しくなります。専門性を活かしつつ、人を集めて、収益記事へと誘導するにはどうすればいいのでしょうか。

 

自分の知識や関心を洗い出しましょう。

福祉系と絡めて、転職・就職、副業、メンタルのコントロール、ガジェット、認知症の話、介護保険制度の話、障害福祉制度の話、発達障害の話、可能性を広げる話、お金の話、うつ病の話、障害年金の話などができます。これらは本業でも関わっている話なので、ブログのために蓄積した知識がそのまま本業で生かすことができます。

それらの知識を生かして悩みを解決できるブログ。そしてその悩みをお金を払ってでも解決していという人を集めましょう。

そういった知識は一般の人にも活用できます。狭めることで対象が少なくなり人が集まらないことを恐れてしまいますが、それは反対です。人は多くの人に当てはまる文章を読みたいのではありません。自分に対して書かれた文章を読みたいと考えるのです。だからよりニッチな内容であればあるほど人に刺さる文章になります。

しかし人のいない世界に文章を流しても意味がありません。人のいる世界でにっちを狙っていく、これが基本の戦略になります。

そしてキーワードを狙いましょう。自分が書こうとしている記事はどのような人がどんなワードで検索しようとしているのかを考えます。たとえばうつ病で退職したが復職したい20代後半の男性が「うつ、就職」というワードで検索したとします。このワードはかなり大きなワードなので企業ページが上位にならんでいます。そこでさらに絞ってみます。「うつ、就職、できない」というワードにすればさらに深い悩みにアプローチできます。ここからは想像ですが、人が悩みを解決しようと検索をするときはその解決策が見つかるか、そのヒントが得られるまで繰り返し検索すると思います。そして検索をするたびに検索ワードも増えていき、より深い内容を知りたいとなっていきます。

そんななかで企業のページを見る人は多いと思いますが、そこで止まる人は購買意欲や悩みを解決したい欲求が弱い人たちです。なのでその層を狙うよりは、もっと深いところまで知りたいと考えている層、つまりニッチな層を狙った方が訴求効果が高くなります。だからここを狙っていきましょう。

そんなネットで迷っている人があなたのページに訪れた時に、企業ページとは比べ物にならないほどの深い内容が書かれており、企業ページが見向きもしない小さな問題についても記事が用意されていれば、あなたのページを周回する可能性が高くなります。そうすればエンゲージメント率も上がるので、あなたのページの収益性は高くなります。だからとにかくコンテンツを充実させていき、読者の悩みを解決するにはどんな文章が必要かを必死に考えていきましょう。その繰り返しがあなたのページを強くしていきます。内容の薄いページを量産してもあなたのページは強くなりません。良質なコンテンツであなたのページを埋めていきましょう。マネタイズもお忘れなく。

社会で使われている「元気」という言葉嫌いっていう話

元気を出せ、もっと元気よくしろ、大きな声で挨拶をしろ。こんな言葉を見るだけで嫌な気持ちになりませんか?僕はなります。


元気なのは良いことですし、挨拶もとても大事だと思います。しかし問題なのは「元気」という言葉が間違った方法で教育されてしまい、そのせいで非常に生きづらい人生を強いられている人がたくさんいるということです。

 

元気とはあなたらしくあり、体調が整っている状態のことです。社会で使われている元気という言葉は誤って使われています。声が大きくて高いことや、行動が大袈裟なことを元気だといいますが、それが元気な状態ではありません。


そもそも元気な状態というのは人によって違います。静かに集中して創作に耽っているのが元気な状態な人もいれば、人と話をしているのが元気な状態な人もいます。しかしそれを理解せず、幼少の頃から「元気=大きな声」という教育を施され、それが次第に「大きな声=良い」みたいな考えに転換されていきます。それは個人の特性を全く無視した教育であり、その教育に合わなかった人は生きづらさを感じるようになります。

他者と関わることにより自分の状態が良くなる人、自分の内面と向き合うことで自分の状態が良くなる人、それぞれ違うのに、その違いは無視されて共通の価値観を植え付けられていきます。その価値観が「外交的は明るくて正しい」「内向的は暗くて間違っている」というものです。そしてその価値観により全ての人間に対して「杓子定規」に元気な挨拶をしましょう、大きな声で挨拶をしましょう、みんなともっと関わりましょうという考えを押し付けます。その考えに上手く合う人はそのまま生きていけます。しかし中には遺伝的に自分の内面と向き合うのが得意で、他者と関わるのが煩わしいと感じる人がいます。そういった人は幼少期の歪んだ教育によりせっかく生まれ持った特性を発揮する場を与えられることもなく、無理をしたり自分を変形させて生きることを強いられます。そして大きな声かどうかで学業や能力の評価もされるようになります。こういった外交性優位の価値観に苦しんでこられた人は多いのではないでしょうか?

 

巷では「外交的」や「内向的」という言葉が対立した人間性であるかのように語られますが、実際は対立する人間性ではなく「共存」する人間性です。

 

YouTubeやブログの伸ばし方を検索しても意味がない話

YouTubeやブログの伸ばし方とかを調べてもネットには出てきません。正確には、あなたに合ったやり方は出てきません。
というか、既に知っているでしょ?それをやりたくないから、楽をしたいから検索をしているだけでしょ。もっと簡単にできる方法はないか、手軽にやるにはどうしたらってひたすら検索をする。その時間が無駄ですよ。

 

僕も含めて、みなさんも実はもうその方法を知っていると思います。

YouTubeの伸ばし方は
・更新頻度を上げる
・編集で見やすい動画にする
・キーワードをタイトルに入れる
SNSに動画リンクを貼り拡散する
SNSのフォロワーが増える投稿、行動をする。具体的には、ポジティブな投稿、いいねやリツイートをする。インフルエンサーのフォロワーをフォローする。
SEOの仕組みに沿った戦略
・チャンネル登録、高評価をお願いする
・動画のエンド画面を用意する
この辺りをコツコツやっていけばYouTubeは伸びるって思いませんか?

 

コンテンツがどれだけ充実しているか、つまりまた見たいと思う構成になっているかを考える。自分が好きなように上げても見ている人は喜ばない。どんな動画を見たいのかを意識してやらないといけません。

 

ではやるべきことをどうすればできるようになるのかを考えていきましょう。
まず一番の壁は、それぞれをどうやればいいのかわからない、わからないからやる気が出ない、やる気が出ないから出来なくて終わってしまうというところでしょう。
それを打破するために、ひとつひとつのプロセスを具体的な行動に落とし込んでいきましょう。

 

更新頻度を上げるには?
→更新する時間を決め、その時間から逆算して動画制作の計画を立てる。隙間時間に動画のネタをメモっておく。動画を撮りためておく。撮りためた動画を整理しておく。

 

編集で見やすい動画にするには?
→冗長な部分をカット、場面転換をスムーズに、テロップで状況説明、映像の色味や明るさを見やすく調整する。そして編集ツールの使い方に慣れること。

 

キーワードをタイトルに入れる
→まずはキーワード選定をする。どのようなワードで検索されているのかを調べて、そのワードをタイトルに入れる。

 

SNSSEOに関してはまた別で書きます。

 

チャンネル登録、高評価をお願いする。→これはやって方がいいのか、やらない方がいいのか微妙なところですが、動画の最後、概要欄で登録や高評価を促すか、登録ボタンや関連動画を動画最後に表示する事でボタンを押しやすくする仕組みを作っておきましょう。

 

動画のエンド画面を用意する。
→これは他の動画やチャンネル登録へ誘導するために必ず置いておきましょう。自分のチャンネル内を周回してもらえるようにしておくことで、再生もされやすくなりますし、気に入ってもらえればチャンネル登録もされやすくなります。

 

以上のような感じで作業をコツコツと積み上げていくことを習慣化すれば、あなたのYouTubeチャンネルも伸びていきます。僕もそう信じてコツコツ頑張っていきますので、一緒に頑張っていきましょう。

ではここまで読んでいただいてありがとうございました😊